現代においては電気がなかったら世界中での生活も産業も成り立たない大事な存在です。



Wikipediaでは
電気とは、電荷の移動や相互作用によって発生するさまざまな物理現象の総称である。
とあります。

私たちはこの説明の内容のすべてを知っているわけではありません。わからないことだらけかもしれません。
さてここでは電気に対する視点を少し変えてみてみます。
過去にこんなページを書いています。


炊飯器はもっとおいしくできる!!
炊飯器がおいしくなるのではありません
炊飯器で炊いたご飯がもっとおいしくなる!!

炭火が一番、二番まき、三番電気!!
これはご飯がおいしく炊ける順番ですよ。
2015年2月25日に炊飯器はもっとおいしくなる



この時に薪となった植物(木)が育った大地の力の話が出てきます。薪は育った大地の持っている力を吸収して燃焼するときには熱や光とともにその力を放出しているという内容でした。
そこに気が付いて応用すれば電気炊飯器はもっとおいしくお米が炊けますよ。が結論でした。

ではその力はそのくらい違うのでしょうか。


今後この電気を利用した商品作りや健康や食品の味などに関連してあらゆる場面で出てきます。
知らないでは通れませんし、これを理解していないと内容がわからなくなります。

大地の力ですから自然の力です。
これが植物ならばおいしさにつながります。
人ならば健康につながります。

たとえば大地の力、
イコール農作地、農場の力がなくなってくると植物は栽培ができなくなってきます。

連作障害と言われています。
そこそこできていても、植物、ナスやトマトやホウレンソウも農地のその力を超える力のものは持つことができません。

衰えた農地では衰えた力のものしかできません。
衰えた力の元で育ったナスやトマトやホウレンソウはおいしくありません。

おいしくないばかりか
そうした植物ばかりを人が食していたならば人も衰えてきます。
これは自然の理です。

しかし漠然と理解できてもなんとなくわかりにくい話です。

電気と大地の力とおいしさとどんな関係なのか。

これには共通の基準を設けないと比較ができませんので
一定の基準が必要です。

農地ならば地力、大地の力とか農地の力とか表現方法があります。
植物ならば生命力でしょうか。
人ならば健康に関して生命力、免疫力、自然治癒力という言葉もあります。


こうした力は名称は違いますが実は同じ一つの力なのです。
そこになぜ今まで気が付かなかったのでしょう。
後述の文章で理解できると思います。

さて
何を基準にするかは大変難しいのですが、
ここで基準となるものを決めたいと思います。
人を基準にします。
人といっても色々で健康な人も不健康な人もいます。
若い人も年寄りもいます。

そこでその基準をこうします。

人が誕生します。
そのとき健康体で誕生して人として正常に成長していく条件は整っているとします。
見方を変えるとその誕生した人が持っている遺伝子情報が成長していくために必要な機能をすることができる力を持っている。
遺伝子情報を機能させる力。遺伝子があっても機能させる力がないと機能しないのです。

遺伝子情報はどんな内容なのかある程度分かっていてもこれもまたすべてわかっているわけではありません。

ここでは誕生した人がその誕生した時点で必要な遺伝子情報を機能させられる力があることしてその力を100とします。

これを基準とします。




基準を作ってあると物事が理解しやすくなります。

赤ちゃんが誕生した時に持っている遺伝子を動かす力を100とする


これできめればいろいろな対比ができます。

理解できない方のたまに
もう少し説明を進めてみます。
くどい話になりますが・・・・。

遺伝子は機能を持っている構造、それを動かす力がないと遺伝子は働きません。その力はなんというのか。
生命力としましょう。

その生命力に基準となる数値を設けましょうということです。

農地からできる植物(農作物)は私たちの命を支えています。

栄養素とともに生命力を与えていてくれています。
その植物はどこからその栄養素と生命力を得ていますか。

それは農地すなわち大地です。
農地の力は地力(ちりょく)といいます。
その地力は植物の生命力となり、それを食することで私たちの免疫力、生命力になっています。

私たちは自然の恵みとか生かされているとか言いますが、まさに全くその通りなのです。何ら異論はないと思います。

一つの力の中ですべてが生かされていることがわかりましたので、やっとここで基準を作ることができます。

大地の力で植物が育ち、その植物の力で私たちは育っています。すると普通ならば大地が一番その力が高くなければなりません。私たちから見れば植物のほうがその力は高くなければ私たちの命は維持できなくなります。植物は大地のほうがその力は高くなければなりません。
この自然のメカニズムの中で命が営まれているのです。

地力、生命力、免疫力などと言葉は違えども同じ力を異なる表現で表していることがわかりました。
それならば一つ基準を定めれば比較ができてきます。

人が誕生した時に遺伝子情報を機能させられるその力を100とするとしました。

人が100ならば、食べ物はそれ以上でないといけません。
少なくとも100の力を持っていないと人が劣化してしまいます。

105、110、150、200、と高ければ高いほど良いですね。
では少しづつ劣化するとどうなるのでしょう。


たとえば20%その力が落ちたとします。
おそらくはアトピーが出たりぜんそくだったり、
その人の弱い部分が症状として表れてきます。

25%その力が落ちればどうでしょう。
30%では?35%、40%では?。。。
その過程ではがん細胞が暴走をしたりもするでしょうし、
死ぬほどの苦しみも味わったりします。

おそらくその力が40%落ちるならすでに死んでいます。
最後まで頑張って心臓を動かしていた力も途切れてしまいます。


これは人ならばとした場合の力のことです。
それでは他の生命体ならどうでしょう。、
たとえば土壌菌や水の中の糸状菌ならばもっと低くても命を継続できます。

そうした生物は低い力の中でもその体を維持できていきます。逆に放線菌などはその体を維持できなくなってしまいます。

菌にとっては土壌あるいは水そのものが環境であり、その環境が持っている力が菌の生き死にを司どっているのです。

これがわかれば活性汚泥法での水処理はいとも簡単に機能させられます。

これは私たちも同じなのです。
私たちの生き死には食事や環境のその力によって大きく変わってしまうのです。

私たちは誕生してから食事が必要ですが、
その食事もその力を基準として100を下回るものならば、体は当然劣化もするでしょうし、環境のその力が劣化していても劣化するでしょう。

回復する力も備わっていると思いますが少しづつ下がっては回復しまた下がり少し回復しながらやがては死に至る。

このように考えると、食事の内容も身を置く環境も100を上回るように考慮しないといけません。


さて話を戻しますが基準ができて、それは食べ物にも環境にも
同じ基準で話ができることが理解できたと思います。

これは電気も同じようにできる話なのです。

電気は私たちに素晴らしい生活環境を与え、すべての産業にもなくてはならないものです。

今電気の力がどのくらいあるのかといえば、
おそらくは先ほどの100に対して60ほどです。

それは人の遺伝子がもう機能しなくなるほどの力(動力などの力ではありません)しかないのです。

電圧や電流のことではありません。
遺伝子の情報を機能させる力のことです。

たとえば電気を使って照明したとします。
光となって周囲を照らしますが、その光はその力の60%しかありませんから照らしながら環境を劣化させていると考えられます。

電磁波を発生しているならばその電磁波の影響圏内も劣化させています。

こう考えると電気は便利で素晴らしいとばかり言えなくなります。
健康を高めていくためには電気の持っている力を高めなくてはいけません。

電気の持っている力を高めることができるならば、もう鬼に金棒です(表現が古いですが)。

電気で環境の持っている力を高めることができるならば、
それは即刻私たちの健康にもつながってきます。

農作物にも関係してきますしもっと大きな地球環境そのものまで波及させることもできます。

電気は熱にも音にも光にも動力にもなり、ありとあらゆるものになって私たちに関係しています。

工業製品を生産するときにも、食品加工物を生産するときにも電気は必要ですし、生活そのものが電気によって支えられています。

その電気が私たちにとっては劣化を進める要因になっていたtのです。

私たちの健康に影響していないわけはありません。
かといって電気の影響で急激に病気になって死に至るわけではありません。

ある人によっては影響が大きくてもある人によっては小さい場合もあるでしょう。
それは人が持っている力との差によるものです。
同じ劣化でも瀕死状態の人にとってはとても大きな劣化ですし、まったく健康で100に近いの力の人にとっては気にもならないくらいの劣化です。
それでも劣化であることには違いありません。



しかしこの問題はもはや解決できるのです。

農地にも植物にも人体にもその力はあります。
そして100と決めた基準を電気にもはめて語ることができるのです。
先ほどは電気の力は60ぐらいだと断定しましたが60から62、63ぐらいだと思います。

これを100を超えた電気とすることができるのです。

100という数値は人体が誕生した時の力でした・
電気をどこまで高めたらよいのでしょうか。

それはどこまでも高めるが正解です。
100を超え10000でも100000でも高めるのが良いに決まっています。

電気炊飯器で炊いたお米がまずいなんてことはもうありません
でも昔の電気炊飯器のお米がまずいのはなぜでしょうか。

お米が持っている力が電気の劣化した力の影響で劣化させられたからですね。
そうするとせっかくお米が持っていた味や香りやその他もろもろの情報が機能しなくなるからですね。
せっかく情報は持っているのにその情報はもはや機能できないくらいまでその力が落ちてしまったからですね。

ところがたとえば1000の力を持った電気ならば、お米の持っている情報を目いっぱい発現させることができます。
それはお米がおいしいにつながりそれを食する私たちの健康度、生命力を高めることにつながります。



あれっと思いませんでしたか。

お米も人と全く同じです。
人も劣化するとお米と同じように情報は持っているのにその情報が機能しないために不快な症状が出てきてしまう(お米ならまずい)。

情報はあるのに機能させられるだけの力がないから不快な症状が出るなら、お米とおんなじようにその力を高めたら、不快な症状は遺伝子が機能して消え去り少々のことでは劣化しない(お米ならうまいうまい)。

お米も同じです。その力で左右されているのです。
人体も同じです。農地も植物も。もっと言うならば元素もです。
そして電子もです。
電気とは、電荷の移動や相互作用によって発生するさまざまな物理現象の総称である。です。
農地も植物も元素も人も、この電荷に移動、相互作用によって生命を維持し機能できているのです

すべてのものがその力によって持っている機能が異なってきてしまうのです。同じように見える人でも良く見れば違うみたいに能力の差がありますし個性もある。そのように理解してもらえればと思います。それはその力の差によって生じる現象と思えませんか。





さて
電気炊飯器で炊いたら
かまど炊きごはんよりおいしいよという時代が来ています。。

電気を使って工業製品を作っているならばこのようなことも起こります。
例えば金属製品に力のある電気を流します。
電気は電子の流れです。
金属がその力のある電子から力を受け取ります。
すると金属はその力を継続して維持することができるようになります。

これはすごいことです。
想像できますか。


それは製品として世の中の環境にも人の健康にも役に立つ商品になります。公害を治すことができる金属になるかもしれません。
ならば自動車のエンジン、燃料タンク、マフラーに応用してみたらどうでしょう。

洗濯機はどうですか。厨房用品には・・・。
などといくらでも応用が出てきます。

宇宙から見た夜の地球の景色は電気照明でこうこうと光り輝いていてまるで宝石のようです。しかし見方が変われば劣化した電気で地球を汚しているともいえます。すべてが力のある電気で証明できたならばその光は地球も宇宙も直す光なのかもしれません。

身近な所ならば家庭の電気製品が私たちの環境を高めてくれる存在へと変わり、食べ物はおいしくし健康を増進してくれる食べ物へと変えてくれる電気となります。

購入した衣料品も多くは化学繊維ですが、その化学繊維もこの力のある電気を使用して生産されたならば、来ているだけで健康を増進し、疲れにくく、頭の回転も注意力も抑止、スポーツ記録まで伸ばしてくれる魔法の衣料品です。

クーラーを生産したならばそこから流れる冷暖房の空気が環境の力を高め健康まで高めてくれる存在になりえます。

料理をします。ガスコンロも鍋もフライパンも力がありますのでおいしいことこの上ありません。

家を建築します。材料はすべて力のある電気で加工しています。家の中にいれば健康で気分良く過ごせます。

農業をします。使用する肥料も土壌改良剤も農機具もすべて力があります。土壌も力を蓄え、農作物は整った力のある環境の成長します。

ですからその農作物は私たちにとっても最高においしく健康を高めてくれます。

電気は
もう衣食住、人の生活のあらゆるところで役に立つ存在になって直接的、間接的にも人にも地球にも良い影響しか与えません。

夢物語のようですが力のある電気はそれを可能にします。

KOTORABOでの技術は
電気の働きを高め、電気の内容を高め、電気の機能を高めます。
力とはその性質、機能、働き量、強さ、相互作用などをまとめたものです。

力のある電気。
それはすべての商品、すべての産業を、奇跡の商品、奇跡の産業にすることができます。

そして人という生命体を素晴らしい奇跡





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